原子爆弾の被爆によって灰燼に帰した長崎医科大学は、全学を挙げて一時旧大村海軍病院に暇寓することとなり、私は爆死した内藤教授の後を継いで、付属病院長を拝命した。
当時この病院には数百人の被爆者が収容されていたので、我々はこの患者を治療すると同時に、約八千人にのぼる被爆者の被爆状況を調査した。
長崎に落とされた原子爆弾は、広島よりも強いプラトニウムの同位元素で作られたもので、これが爆発すると数千度に及ぶ高熱を発し、強度の爆風を起すと同時に、放射線を有するガンマー線や中性子を放出して、これが人体に作用すると、種々の重要組織を破壊して、遂には死に至らせるのである。
原爆で起こる災害を大別すると、(一)爆風による災害、(二)高熱による傷害、(三)放射線による障害の三つに分けることが出来るが、これらが種々に組合わさって建物にも、生物にも、また人体にも悪い影響を及ぼしたのである。
この調査に当ったのは私のほか、木戸助教授、佐藤助教授、一瀬助教授、高橋助教授、亀井講師、藤井副手、石丸副手、須山副手、佐藤副手、赤羽博士、久保田医員、そのほか学生約五○名であった。この人達が昭和二十年十月から十二月迄の間に約八千枚の調査票を作製し、これを私が一人で集計して論文に纏めたが、それには一年以上を要した。論文は左の四編に分れている。
第一編 原子爆弾による死亡率について
第二編 原爆受傷者の死亡時期について
第三編 原爆による外科的損傷について
第四編 原爆による放射線病について
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